理由は人間を改めて好きになるからなんです。
私は東京に住んでいますが町を歩いていたり車を運転すると、
「イラッ」とすることがよくあります。池袋の地下を歩いてて、
「くぅぃさまぁーっ(怒)なーんで俺様の目の前をかすめるような、ニアミス起こしそうな歩き方すんだ!」
なんてね。あんだけ人がいるんだから仕方ない話なのにさ。
結局のところ人間ができていないんですけど、ちっちゃな「イラッ」が
積み重なってとっても疲れます。心あたりないですか?
そんな時落語は「人間はそんなに捨てたもんじゃないよ」と語りかけてくれます。
目黒のさんまという一席を知ってますか?
生活に何不自由ない殿様が毎日「つまんねーなぁ」と暮らしていました。
今でいうならヒルズに住んで、ガヤルドに乗って、
使えないだけの現金を持ってるみたいな人だと想像してほしい。
この殿様ある日おもいたって白馬にまたがり目黒に鴨狩に出かけたのです。
家臣も大変です。
ガヤルドにのった大将のあとをビッツで追いかけてゴルフへ行ったようなものです。
「とのー お待ちくだされー」
昼飯時になって家臣が「本日お昼の支度をしておりません。」
「なんだとー」と怒っても、当時の目黒は野原でした。
私が想像するに、目黒不動のあたりの山の上で、目前には目黒川、その先に五反田の低地。
その向こうに白金の台地があるってな感じでしょうか。
するとどこからか、いーにおいが。
近くの民家が焼いている”さんま”の香り。
結局分けてもらい。口にすると最高の味!これまで味わったことのないすばらしい味わい!
殿様は毎日白身の魚を口にしているので、もう虜になっちゃいました。
同行した家臣は自分がさんまを殿に食べさせたとあっては、お城に帰ってから自分の立場が危ない。
「殿、さんまの件は内緒ですぞ」と言い聞かせます。
「わかっておる、わかっておる」
しかし、それからというもの、寝てもさめても「あーっ さんまが食べたい」
口止めされているので、本心はなかなか言い出せません。
それからしばらくして、お殿様のリクエストで食事ができる機会に恵まれます。
食事担当の家臣は「殿、何をお召し上がりになりますか?」
殿は心のなかで親指立ててガッツポーズ。しかし、顔には出さず。
「さんまをもて」
「は?さんまにござりまするか?」
「そうじゃ”さんま”じゃ」
食事担当は困りました。青い魚を食べさせてこれまた何かあっては自分の立場が危ない。
最高のさんまを築地から取り寄せ、丁寧に骨を取り、じっくりあぶり、油を落とし、スカスカにした、
食べて危険のないようにしてさしだしました。
殿は変わり果てたさんまを見て、
「こ、これがさんまか?」
家臣は知らないと思っています。
「さんまにてございまする。」
殿はむしゃむしゃ食べ始めました。しかし、ご想像通りのひどい味。
そこで、一言、
「あーさんまは目黒に限る」
こんなお話です。
医学博士 米山公啓 氏の著書 「稼ぐ脳」を読みました。(秀和システム刊)
医学的に正しい脳の使い方を書いた本です。
やる気の出し方というくだりで、著者は
年収400万円の人が年収1000万円になることは、金額だけ見るとすごい事に思うが、
実際には1000万円になってもさほど生活が変わらないことが分かってくる。
自分が理想としていた生活を実現するには、年収一億円程度ないと不可能だと理解すると、
そこで金を稼ぐという動機はどうでもいいことになってしまい、仕事への意欲は一機に失われてしまう。
金を稼ぐために仕事をするというのは、目先の動機としてはいいかも知れないが、長期的に見て強い動機にはなりにくいのだ。
と説明してくれています。
そいじゃ究極の喜びって何だろう?氏は続けています。
”医師であれば患者さんからの感謝の言葉、レストランであれば「おいしかった」の一言。”
ちょーやる気でるーっ!
そして私が付け加えさせていただくなら、殿が恋焦がれた安くてうまい目黒のさんまも究極の喜びではないかな。
値段だけが価値を決めないもの。そんな目標で行きませんか?
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